Google「シークレットモード」集団訴訟とは?
米グーグルが「シークレット(秘密)モード」に設定したブラウザー「クローム」で利用者のインターネットの閲覧情報を収集し、プライバシーを侵害しているとして、利用者は3日までに、グーグルに損害賠償を求める集団訴訟を米カリフォルニア州の裁判所に起こした。
提訴は2日付。ロイター通信によると、原告が求める賠償額は少なくとも計50億ドル(約5400億円)。
(2020年6月4日付け 日本経済新聞電子版から引用)
上記引用記事のとおり、米Google社が閲覧履歴などの情報を取得していることがプライバシー侵害である等としてカリフォルニア州で訴訟が起きたという報道がありました。
シークレットモードを開くと「訪問先のウェブサイト」にはアクティビティが知られる可能性があるという注記がありますので、この注記の効力やGoogle社による訪問先ウェブサイトを通じたアクティビティの取得が争点と思われます。また、
「Googleアナリティクス」、「Googleアドマネージャー」、ウェブサイトプラグインや、モバイルアプリを含むその他のアプリケーションによって、ひそかにデータを収集しているという。
(2020年6月4日付けCNET Japanから引用)
との記事もあり、単に「シークレットモード」の問題だけでもないようです。
もっとも、本コラムは、この訴訟自体についての法的な見解を述べるものではなく、この記事を見て、日本における集団訴訟の現状に対する問題意識と方策について、考えたことを記述したものです。
問題意識
集団訴訟は弁護士に「身」のあるものになりがち
上述いたしましたが、私としては個別の訴訟の帰趨自体について、現時点において法的な観点からの意見を述べるつもりはありません。ただ、米Google訴訟で行われているにように、広く原告を募り、社会的な問題に対して積極的に司法判断を仰ぐということは意義のあることだと考えており、今後広く行われることに期待をしております。
しかしながら、米Google訴訟のように、いわば「広く浅い」問題に対してはなかなか集団訴訟を起こしにくいのが現状です。
実際に最近行われている集団訴訟を見ても、カネボウ白斑、茶のしずく、基地爆音訴訟、原発関連訴訟、公害訴訟、B型肝炎訴訟など、現在行われている集団訴訟はある程度収入が見込まれる事件に限定されています。
弁護士は「私的事業者」であること
こうした訴訟を、あたかも、社会正義の実現だけを理由として行っているかのように表明することは、欺瞞的と思う部分がないわけではないですが、他方で、これはまったくの構造的な問題です。
すなわち、弁護士は「社会正義の実現」を目的とする存在でありながら、その活動経費については、事件の報酬であったり顧問先企業様から頂く顧問料によって賄わなければなりません。
また、弁護士の供給量が圧倒的に少なく、料金についても弁護士会が定めた基準に拠っていた時代では、ある程度、待っていてもそれなりに収入が見込める事件が安定的にあり、事件を行いつつ社会的貢献につながる活動を行う余裕もあったのではないかと思います。しかしながら、現在は、法律隣接士業(司法書士、行政書士、弁理士、社労士、税理士)が多数存在するにもかかわらず、急激な勢いで弁護士が増加し、その料金についても自由化されている状況では、事務所の運営が成り立つか、という観点で物事を考える局面は出てきてしまいます。
しかも、弁護士は個人事業主であれば当然、法人形態でも弁護士法人の役員は「無限責任」を負い、法人が負債を抱えれば代表社員は個人資産すらも差し出さなければなりません(株式会社や監査法人の様に有限責任法人の形態はありません)。
「身」が少なくても司法的判断を得ることに意義がある訴訟も存在する
この様な背景事情を考えると、経費と結果がトントンぐらいであればともかく、集団訴訟を行った結果、大赤字になる様な行動は取りようがありません。
しかし、裁判所が高額な経済的な賠償を認めないものの、極めて重要な問題というのはあります。私がざっと思いついたものとしては、個人情報の流出事件に対する損害賠償請求や、今回の巨大IT事業者による広範囲にわたる個人情報の収集、通信会社による解約制限などがあります。
まず、個人情報の流出を起こした企業の責任については、レピュテーションを通じて社会的制裁を受ける部分はありますが、本来は、その情報を流出させられた被害者に対して然るべき慰謝料が支払われる必要があります。しかし、裁判所が個々の被害者の損害を金銭的評価を行うとなると、情報の内容にもよりますが、やはり個々の個人が受けた損害としては、数千円とか数万円ということになろうかと思います。これでは、まずもって原告になろうという人自体も少ないでしょうし、膨大な数の原告を取りまとめ書面を作成し、賠償金を分配するという事務を行う弁護士もいないでしょう。
同じく、IT事業者による広範囲にわたる個人情報が収集されたとしても、裁判例の傾向からして、突然賠償額が1件当たり数十万円に跳ね上がることは考えにくいところです。
また、私が学生時代に初めて携帯電話の解約制限について聞いたとき、率直に「こんなこと許されるのか」と驚きましたが、携帯電話会社の言いなりにならざるを得ませんでした。これについては、自分が弁護士になったので「自分の携帯の更新のタイミングで裁判でも起こしてやろう」と思いはしたこともありましたが、既に依頼者様から請け負っている事件の処理に頭がいっぱいで、自分の数千円や数万円のことで訴訟をしている余裕はありませんでした。
この様に「広く浅く」行われ、「損害が小さい」類型の事件では、懲罰的な損害賠償が認められていない日本の法体系ではなかなか行動に移すことが難しいのです。
しかしながら、現在の巨大資本はこの様な「広く浅い」行為により、結果的には莫大な利益を得ており、他方で、一般市民は複数の「広く浅い」行為により、ジリジリと身を削られ続けています。
どうしたらよいのか?
公的規制の強化や弁護士費用の損害賠償の増額はどうか?
ひとつには、公的な規制を強化することが考えられます。実際、携帯電話会社の解約制限については、公正取引委員会が動きました。しかし、私的な企業の経済活動に対して、公権力が介入することは、それはそれで問題があります。また、公取委が動く際にも相当の時間をかけて調査・検討を行う必要があり、機動性にも欠けます。
したがって、この問題は、やはり同じく私的な存在である、一般個人や在野の弁護士が中心となって取り組むべき領域だと思っております。
また、懲罰的な損害賠償とまではいかなくとも、裁判所が弁護士費用に対する損害賠償をしっかり認めることも重要です。現在の裁判例では、不法行為に基づく損害賠償の場合10%程度の弁護士費用相当額の上乗せが認められていますが、個人情報の収集の様な「広く浅い」類型では10%程度の報酬では、まったく割にあいません。また、裁判の結果として賠償が認められるとしても、それがいつ収益化するのか、見通しが立たなければ行動に移すことは困難です。
したがって、弁護士費用の賠償は重要ではありますが、それ以上に、原告を集め、判決が出るまでの経費の負担を軽減する必要があります。
弁護士会の活用は可能か
まず思いつくのは弁護士会の事務局をこの手の訴訟の事務局として活用するということですが、私的な紛争に中立的な存在である弁護士会が当事者の立場で関与することは望ましくはありません。もっとも、弁護士会が窓口になって、問題点を周知し・法的な行動に移ることを喚起する広報活動を行うとともに、これを弁護士に取り次ぐ分には、現状でも、弁護士会はそうした広報活動とともに、弁護士会での相談などを通じて取り次いでおります。
また、実際に訴訟提起・訴訟対応に要する経費面ですが、この点については、弁護士会の予算が許すのであれば、利益が出たらその限度で返還する条件で、弁護士会から経費を補助する仕組みを作ればいいのではないかと思います。
補助金など政府からの支援
もっとも、弁護士会からお金を出すのでは不足することが考えられますが、そうであれば政府からの資金補助を受け入れることも考えていいのではないかと思います。これを口にすると、「弁護士自治」の観点から、公的資金を受け入れるべきではないという反論は必ずあろうかと思います。
確かに、弁護士自治は重要であり、高い独立性や弁護士の矜持の淵源でもあると思います。ただ、弁護士自治をガチガチに守ることで、社会的意義が非常に大きな活動が制約されるとすれば、果たしてその自治にはどれだけの意義があるのか疑問に思うこと、また、現状でも「法テラス」や国選弁護人の報酬には公的資金が導入されております。
法テラスや国選弁護人報酬への公的資金の導入が、人権擁護や経済的弱者への法的支援という観点から正当化されるのであれば、前述したような、資本主義社会における”クジラ”による「広く浅い」けれど、個人の人権・人格的利益に影響を与える行為に対する訴訟活動については、公的支援があっても良いのではないかと考えます。
クラウドファンディングの活用
ここまでの私の主張にどの程度賛同する方がいるかは分かりませんが、巨大資本による「広く浅い」が、しかしながら「損害額としては小さい」類型の行為に対して不満を抱えている方はそれなりにいるのではないか、という気はしています。
上述した対応に加えて、そうした支援者からも、クラウドファンディングを通じて訴訟費用の支援を求めることも併用して行うことで、こうした活動に対するハードルも下がってくると思います。
おわりに
市民生活にテクノロジーが浸透するにつれ、新たな社会インフラへと発達する技術があります。こうしたものは、性質上巨大化せざるを得ませんし、むしろ多数の泡沫事業者いても、それはそれで社会が混乱します。
しかしながら、こうした企業は、その実体が社会インフラであるにもかかわらず、私的経済主体として自己の利益を追求すべき存在でもあるという自己矛盾的な要素を含んでいます。また、テクノロジー関連で厄介なのは、プラットフォームが異なることで使えなくしたり、不都合が発生するようにさせるなど競争排除行為も比較的やりやすい一方で、その追及は非常に難しいという問題があります。こうした特殊性から、手出しが難しく、その結果「広く浅く」利益を得続けることで、その競争上の地位を保持しつつ富を集中させていきます。
私としては、こうした事業者に対して、人権擁護の観点から対抗していくことについて、経済面から支援することは、非常に大きな意義のあることであると思いますので、信念のある弁護士が行動を起こすことが出来る条件を整備してほしいと考えます。
弁護士 亀山 聡