瓦版ACLOGOS(9)
最高裁は、令和6年7月8日、退任取締役の退職慰労金を減額した取締役会決議に裁量権の逸脱や濫用がなかったとの判決をしました。
事案の概要
1 当事者
X:Y1会社の元代表取締役
平成16年6月就任、平成29年5月に同年6月で代表取締役及び取締役を辞任する旨表明
Y1:テレビによる基幹放送事業を行う株式会社
Y2:Y1会社の代表取締役
2 Y1会社の退任取締役に対する退職慰労金内規
退任取締役の退職慰労金は、退任時の報酬月額等により一義的に定まる額を基準とする(基準額)。但し、取締役会は、退任取締役のうち、「在任中特に重大な損害を与えたもの」に対し、基準額を減額することができる。減額の範囲ないし限度についての定めはない。
3 退職慰労金減額の対象となったXの行為
(1)本件行為1
Xは、代表取締役在任中の平成24年から平成27年までの間、Y1会社から、社内規程所定の上限額を超過する額の宿泊費等を受領し、税務調査においてこのことが発覚し、当該超過分合計約1610万円がXの報酬と認定され、Xは、Y1会社が納付した上記の報酬認定に係る源泉徴収税に相当する額を負担することになったが、Xは、平成28年7月、Y1会社の取締役会の委任を受けた代表取締役として自らの平成28年度の報酬を決定するに当たり、これを前年度と比べて2308万円増額し、その後は退任するまで増額された報酬を受領した。この増額は、Xにおいて、上記源泉徴収税相当額の負担をY1会社に転嫁するとともに、社内規程に違反する宿泊費等の支給を実質的に永続化する目的でされたものであった。
(2)本件行為2
Y1会社が平成24年度にXの交際費として支出した額は約4925万円であったところ、Xは、平成25年度から平成28年度までの各年度において、交際費として、上記の額を大幅に超過する額(当該超過分は合計約1億0079万円)をY1会社に支出させ、さらに、Xは、Y1会社の海外旅費規程を改定させ、平成24年から平成28年までの間、Xの出張に伴う支度金として、上記の改定前の海外旅費規程によるよりも約545万円多い額をY1会社に支出させるなどした。
(3)本件行為3
Xは、平成26年度から平成28年度までの間、文化芸術活動の支援事業等の費用をY1会社に支出させたところ、その支出のうち約2億0558万円は明らかに過剰なものであった。
4 Xの退職慰労金支給に関するY1会社の株主総会決議
平成29年6月16日に開催されたY1会社の定時株主総会において、Xの退職慰労金について、本件内規に従って決定することを取締役会に一任する旨の決議がされた。なお、上記決議に先立ち、議長を務めたXから、Xの退職慰労金は、取締役会において、中立かつ公正な調査委員会を設置しその調査結果を踏まえて決定する方針であり、Xとしてはその決定に従う意向である旨が説明された。
5 調査委員会の設置とその調査内容の報告
その後間もなく、Xと利害関係のない弁護士3名及び公認会計士1名並びにY1会社の常勤監査役1名で構成される調査委員会が設置され、本件調査委員会によりXの退職慰労金に関する事実関係の調査等が実施された。本件調査委員会は、平成29年12月、上記調査等の結果を取りまとめた詳細な最終報告書をY1会社の代表取締役であるY2に提出した。本件調査報告書の概要は次のとおりであった。
ア 本件行為1は、特別背任罪の成立要件の充足を否定しきれない悪質な行為である。また、本件行為2のうち、交際費の支出に係る行為は、合理的な手続によらずに明らかに過剰な額を支出させたものであり、海外旅費規程の改定も、合理的な理由に基づかずにさせたものであって、いずれも正当化することができない。
さらに、本件行為3は、その支出のうち約2億0558万円は明らかに過剰なものであった。
本件1ないし3の各行為は、いずれもY1会社に多大な損害を与えるものであった。本件各行為による財産上の損害の額は、合計約3億5551万円である。
イ Y1会社の取締役会は、本件行為1につき告訴をすると判断した場合、Xに退職慰労金を支給しない旨の決議をすべきである。他方、取締役会が、本件行為1につき告訴をしないと判断した場合には、Xに一定額の退職慰労金を支給する旨の決議をしたとしても、取締役に善管注意義務違反があるとはいえない。そして、Xに退職慰労金を支給する場合、Xに係る基準額から上記アの財産上の損害の額の全部又は相当部分を控除して上記退職慰労金の額を算出する方法を採用することには合理性がある。
6 Xに対する退職慰労金支給に関するY1会社の取締役会決議
平成30年2月2日に開催されたY1会社の取締役会において、Xの退職慰労金について審議が行われた。この審議では、本件調査報告書の内容を踏まえて、本件行為1につき告訴をし、退職慰労金を支給しないこととすべきである旨の意見や、懲罰的要素を含めて大幅に減額した額の退職慰労金を支給するのが相当である旨の意見など種々の意見が出されたところ、最終的に、本件行為1につき告訴をしないが、Xの退職慰労金に係る基準額として算出した3億7720万円から上記アの約3億5551万円の約90%相当額を控除した5700万円を退職慰労金として支給するのが相当である旨のY1の提案が支持され、Xに対して上記の額の退職慰労金を支給する旨の決議がされた。
その後、Y1会社は、Xに対し、5700万円の退職慰労金を支給した。
原審判決
次のとおり判断し、XのY2に対する民法709条に基づく損害賠償請求及びY1会社に対する会社法350条に基づく損害賠償請求をいずれも認容すべきものとした。
本件減額規定は、退任取締役の退職慰労金について、Y1会社に特に重大な損害を与えた在任中の行為によって生じた損害に相当する額を基準額から減額することができる旨を定めたものであり、上記行為とは別の行為による損害を考慮して上記退職慰労金を減額することは許されないと解される。Y1会社の取締役会は、本件行為3がY1会社に特に重大な損害を与えた行為とはいえないにもかかわらず、本件行為3に係る費用の支出を考慮してXの退職慰労金を減額した点において、本件減額規定の解釈適用を誤ったものであり、本件取締役会決議には裁量権の範囲の逸脱又はその濫用がある。
本件判決
1 本件減額規定は、取締役会は、退任取締役が在任中Y1会社に特に重大な損害を与えた場合、基準額を減額することができる旨を定めているところ、その趣旨は、取締役を監督する機関である取締役会が取締役の在任中の行為について適切な制裁を課すことにより、Y1会社の取締役の職務執行の適正を図ることにあるものと解される。Y1会社の株主総会が退任取締役の退職慰労金について本件内規に従って決定することを取締役会に一任する旨の決議をした場合、取締役会は、退任取締役が本件減額規定にいう「在任中特に重大な損害を与えたもの」に当たるか否か、これに当たる場合に減額をした結果として退職慰労金の額をいくらにするかの点について判断する必要があるところ、上記の本件減額規定の趣旨に鑑みれば、取締役会は、取締役の職務の執行を監督する見地から、当該退任取締役がY1会社に特に重大な損害を与えたという評価の基礎となった行為の内容や性質、当該行為によってY1会社が受けた影響、当該退任取締役のY1会社における地位等の事情を総合考慮して、上記の点についての判断をすべきである。
そして、これらの事情は、いずれも会社の業務執行の決定や取締役の職務執行の監督を行う取締役会が判断するのに適した事項であること、さらに、本件内規が本件減額規定による減額の範囲等について何らの定めも置いていないことに照らせば、取締役会は、上記の点について判断するに当たり広い裁量権を有するというべきであり、取締役会の決議に裁量権の範囲の逸脱又はその濫用があるということができるのは、この判断が株主総会の委任の趣旨に照らして不合理である場合に限られると解するのが相当である。
2 これを本件についてみると、前記事実関係によれば、Y1会社の取締役会は、Xが代表取締役在任中に本件各行為をしたことを考慮して、本件取締役会決議をしたものである。しかるところ、このうち本件行為1は、Y1会社の代表取締役を務めていたXが、長期間にわたってY1会社から社内規程所定の上限額を超過する額の宿泊費等を受領し、このことが発覚した後には、いったん負担した当該超過分に係る源泉徴収税相当額をY1会社に転嫁するとともに、社内規程に違反する宿泊費等の支給を実質的に永続化する目的で自らの報酬を増額したというものであり、このことが報道により社会一般に広く知れ渡ったことによって、Y1会社の社会的信用が毀損されたことがうかがわれる。
また、本件調査委員会は、定時株主総会において示された方針に基づいて設置され、Xと利害関係のない弁護士等で構成されたところ、本件調査委員会による本件調査報告書では、本件行為1は特別背任罪に該当する疑いがあり、本件行為2も正当化することができず、Xは両行為によりY1会社に多大な損害を与えたとの指摘がされたものである。そして、取締役会は、このような本件調査報告書の内容を踏まえて本件取締役会決議をしたものであるところ、本件調査委員会が調査等に当たって収集した情報に不足があったことはうかがわれない。さらに、取締役会は、上記の指摘を受けて、本件調査委員会が提示した本件行為1につき告訴をして退職慰労金を支給しないとする案も検討したが、審議の結果、最終的に、告訴をせずに退職慰労金を大幅に減額する旨の判断に至ったのであり、取締役会においては、相当程度実質的な審議が行われたということができる。
これらの事情を総合考慮すると、本件行為1及び本件行為2をY1会社に多大な損害を及ぼす性質のものと評価することは相応の合理的根拠に基づくものといえ、本件行為3がY1会社に損害を与えるものであったか否かにかかわらず、Xが本件減額規定にいう「在任中特に重大な損害を与えたもの」に当たるとして減額をし、その結果としてXの退職慰労金の額を5700万円とした取締役会の判断が株主総会の委任の趣旨に照らして不合理であるということはできない。
以上によれば、本件取締役会決議に裁量権の範囲の逸脱又はその濫用があるということはできない。
解説
1 退任取締役に支給する退職慰労金は当該退任取締役に対する報酬とされており、その支給に際しては会社法361条の規定により株主総会の決議が必要となる。もっとも、多くの会社においては退任取締役の退職慰労金支給に関する内規を設けていて、支給額に関する基本的な計算方法、減額できる場合及び功労金等の加算をすることができる場合が定められており、株主総会においてはこれらの内規に従い、具体的な支給額については取締役会の決議に委任されたい旨の提案をして、株主総会においてはこれを承認するという決議がなされるのが一般的であり、裁判例もこのような株主総会の決議は適法であるとしている。
2 そして内規に減額できる旨の規定がある場合に、株主総会の委任を受けた取締役会において、どのような事情を考慮して減額することができるのか、減額の範囲を誤ったとして裁量権の濫用を主張できるのかという問題がある。本件はまさにその点が問題とされたものであり、第一審及び原審はいずれも、取締役会決議は、内規に基づく基準額のとおりの退任慰労金を支給することを決議した上、特別減額を決議したものではなく、株主総会決議で与えられた裁量を逸脱ないし濫用したものと認められ、Y2は、Y1会社の職務を執行するに当たり過失があったとして、2億350万円損害賠償請求を認容したものです。本件は不法行為による損害賠償請求ですから、Y1会社の代表取締役であるY1に故意・過失がなければなりません。第一審判決はこの点につき、「本件取締役会決議は、Xに支給する退任慰労金につき、本件調査委員会の最終報告書に示された減額可能額の90%を基準額から減額した5700万円を支給することが妥当であるとのY2の報告を前提として審議が行われ、Xに5700万円の退任慰労金を支給する旨決議したものである。Y1会社の取締役会は、この決議に至る過程で、本件内規による基準額から特別減額の額を控除して算定するという、本件調査委員会の採った手法を前提として採用し、審議を行っているが、このような過程は、退任慰労金の額を最終的に決定するまでの過程に過ぎず、本件内規による基準額及び特別減額の額が個別に決議されたものではない。そうすると、本件取締役会決議は、本件内規に基づく基準額のとおりの退任慰労金を支給することを決議した上、特別減額を決議したものであるとは認められない。」「本件内規の特別減額の定めは、『特に重大な損害を与えた』ことが認められた場合に減額する額の算定方法を定めていないものの、『特に重大な損害を与えた』という厳しい要件の下での減額を認めるものである以上、少なくとも『特に重大な損害を与えた』行為と別の行為による損害を考慮して減額することは許されないことといわざるを得ない。そうであるのに、Y1会社の取締役会は、コンプライアンス違反及び交際費等の過大な支出による無形的損害を適正に算定した結果に基づき、大幅な特別減額をしたというわけではなく、コンプライアンス違反及び交際費等の過大な支出とは別の行為である(本件行為3)CSR費用等の支出につき、特に重大な損害を与えたとは認められないのに、これによる損害が生じたとして特別減額をしたものである。とすれば,CSR費用等の支出につき、特別減額をした被告会社の取締役会の所為は、本件内規の特別減額の定めに反するものとして許されない」。としてY2の過失を認定しており、原審もこれを認めています。
3 この第一審及び原審におけるY2の過失の認定には分かりにくいところがあるように思います。そもそも、法務・財務・業務監査の専門家である弁護士、公認会計士、常勤監査役を構成員として設置された調査委員会の報告を基礎にしての退職慰労金額を確定したY2の行為の何が過失にあたるのか今ひとつ明確ではありません。第一審判決は、調査委員会の作成した「この最終報告書が本件内規の解釈適用を誤ったものでないかについては、Y1会社の取締役会が独自に判断すべきものである。」としています。確かに理屈はそのとおりでしょうが、専門家がこのような減額は適法です、といって提出された報告書の内容を基本的に取締役会が信用したとしても、経営判断原則に照らして、これが取締役の善管注意義務に反する行為であるとは考えられないように思います。
個人的には、この点においてY2の過失を認定した第一審・原審の判断は問題があったのではないかと考えています。
4 ただ、本件最高裁判決はこの点については何ら触れていません。そうではなくて、株主総会から取締役会に与えられた委任の範囲を超えて裁量権の逸脱に及ぶ行為があったか否かの観点からこれを判断し、「取締役会の決議に裁量権の範囲の逸脱又はその濫用があるということができるのは、この判断が株主総会の委任の趣旨に照らして不合理である場合に限られると解するのが相当である。」としたうえで、「本件行為1及び本件行為2をY1会社に多大な損害を及ぼす性質のものと評価することは相応の合理的根拠に基づくものといえ、本件行為3がY1会社に損害を与えるものであったか否かにかかわらず、Xが本件減額規定にいう『在任中特に重大な損害を与えたもの』に当たるとして減額をし、その結果としてXの退職慰労金の額を5700万円とした取締役会の判断が株主総会の委任の趣旨に照らして不合理であるということはできない。」としたものです。
5 本来、退任取締役の退職慰労金は、たとえ内規が存在したとしても株主総会の支給決議がなければ支給できるものではありません。もちろん、意図的に取締役会が退職慰労金支給決議を株主総会議案として上程しなかった場合には、取締役の忠実義務違反等として不法行為と対象となる場合はあります。逆に退職慰労金支給議案が株主総会で否決されてしまえば会社としては退職慰労金を支給することができません。その意味で、内規の存在が退任取締役が退職慰労金を受け取り権利があることを期待する利益があるということも言えないように思います。そして取締役の報酬についてこれを株主総会の決議に係らしめている趣旨が、「取締役間のお手盛りの禁止」であるとすれば、報酬の上限については株主総会で決議する必要性が高いといえますが、減額については大幅に取締役会の裁量に委ねられているように思います。このような観点からも、本件最高裁判決は正当であると考えられます。
以 上